ざわつく心と喧騒に埋もれて

わたしに不安や憂鬱をはこんでくるものからはできるだけ距離をとった日曜日。まぶしい青空と、ともだちの笑顔と、すきなひとのぬくもりは、まちがいなく栄養だとおもった。

 

うまく言葉では言い表せないような、どうしようもない不安におしつぶされそうになってしまう日がたくさんある。心臓から流れ出る血に、呆然とする。涙をながして、もっともっと前をむいて生きれたらいいのに、と心のなかで呟く。

健康なこころでいること、はすごくむずかしい。この数ヶ月ずっとしてきた「自衛」を、もっともっとしなければ、と焦っている。だいすきなものをもっともっと見つけなければいけない。隙間からじわじわとわたしを侵食しようとするどろどろのきもちが入る隙がないくらい、やさしさでわたしを満たさなければいけない。

言葉が生産できない理由が「しあわせだから」なのは、めちゃくちゃにいいことなんだからね。穏やかであたたかい生活をちゃんと抱きしめて。忘れないでね、わたし。

驚くほど、やさしく

日々を生きている。なにかの拍子におもいだす、こころを貫く痛みにはまだ慣れないけれど、生活は以前よりもずっと静かで、わたしは、おだやかな空に浮かぶ雲。

 

これまでに幾度も実感したおわりが、ついに訪れたような気がした。

大切、という言葉の意味を考えてみる。それはもしかすると、いまのわたしにとっては未練や執着と同義かもしれなかった。どうしても、ずっとずっと手放せないものがあって、そこには温度もやさしさも既にないとわかっていたはずだけれど、昔にみた夢を忘れられないわたしはもう一度その夢をみる方法を探して、何度も何度も目をつむり眠りに落ちようとしていた。けれど、落ちた先にあるのは違和感と冷たいこころ、再び目を開ければまたいつもの生活が待っていた。

そんなずるいわたしを、きっとぜんぶ見透かされていた。わたしが生まれてはじめて、まともでいたいと感じた相手だったはずなのだけれど。気づいたときには、ずるいわたしに戻って、醜い姿で出口を塞いでいた。

 

温度がないことは、おそろしいほどの残酷さを運ぶ。這い上がって、やさしくならなければいけないなあ。

静かに眠りたい

ずっとずっと、逃げ道をのこしながら前にすすんでいるフリをしていた。やっとだね やっと、わたしに絡みつくすべての幻を振り払って、じぶんの足で立とうとしているね、しているよね?苦しくて、いたくて、何度も泣いたけれど、どうしようもないほど幸せできつくきつく抱きしめておきたい時間も、たくさんあったとおもう。もう一度戻りたいとわたしが願うことがないように、身を引き裂かれるような苦しさに眠れない日が来ることがないように、身体を蝕む黒い感情に押しつぶされることがないように、とまることをしらない涙に視界がかすんで何も見えなくなることがないように、思い出すべてに、過去、と名前をつけた。ここからは、新しい世界。

 

もう会わないと何度目かの決意をした日に書いた文字。何度も踏み出そうとした一歩は、また粉々に打ち砕かれている。わたしって、ほんとうにどうしようもないくらい弱いなあ。

 

ざらざらしたこころをなぞるみたいに、優しくかさぶたをはがしてみる。その先にあるのは、流れる血。すきと伝えることに勇気がいらなくなった世界はあたたかいと言ったけれど、ほんとうはそんなのうそで、ひかる画面をずっと見つめて、汗ばむくらいの力でこのうすっぺらい機械を握りしめていた。それでも、あふれる気持ちを地面に落としてしまうのは嫌だった。すきなひと一色の世界に生きること。足のつかないプールで息ができなくなるわたしは、苦しくてやっぱり泣いてしまうけれど、わたしを照らす太陽が眩しくて、たまらなくやさしい日もあることを知らないわけじゃない。

ほんとうのことを言うと、わたしにはまだ、よくわからないことの方がおおい。苦しさと愛しさのせめぎあい。この感情につけた名前。目覚めた朝に感じるいたみ。だれかと深い関係になるということは、じぶんの弱さや至らない部分と向き合うことと同義におもえる。それをする強さがわたしにはなく、目の前に立ちはだかるいたみをどうにかして取り除く、みたいな そういう刹那的な回避方法しか持ちえていない。

 

ぜんぶぜんぶ、わからないんだよ。あした、笑顔で過ごせるのかなあ、と困り果ててしまう生活は、したくないのにな。

 

夢をみたくないなら、眠るのをやめろ

幻をみていた。あたたかくて、やさしい夢だったようにおもうけれど、目が覚めたわたしは驚くほど傷だらけで、身体中がいたかった。

泣きながらみた夢をわすれられなくて、ずっと、どうしても引き返すことができなかった。ずっとずっと、誰に何を言われなくたって、わかっていた。行動が伴わないあなたはやっぱりわかってなかったんだよ、と言われるかもしれないけれど、それでもわかっていたとおもう、あるいた先に何もないこと。麻薬みたいだね、とお互いを表現した。得られる快感はとてつもなくおおきかったけれど、すり減らされたこころや傷つけられたプライド、奥の方まで突きささる痛みに、全身が引き裂かれた。それでもわたしは、おいしいねと微笑みあって食べたごはんを、足を絡ませてねむった蒸し暑い夜を、動物みたいに夢中で求めあったセックスを、無かったことにはしたくないとおもっている。

空を見上げて、きれいだね、っていっしょに笑いあえるほど、美しいことはないでしょう?

 

でも、訪れた平穏の大切さを、わたしはちゃんと覚えていたみたい。ひとりでねむる夜は、冷たく、さみしいけれど、火照る身体と交わす熱だけが真実ではないということを知った。削られていく心臓と、尖っていくじぶんの言葉にもう嫌気がさしてしまった。どんな生活にも痛みがあるのだとしたら、すくないほうを選んで生きていかないと、ボロボロになってしまうよね。

 

すきなひとの名前をよぶ。

ちいさな公園、おおきなくじらのすべり台。変な形のベンチに座ってビールを飲んだね。なんとなく揃ったふたりの歩幅に、ちょっぴりゆるんだ頬。ぜんぜん洗ってなくて臭くなった靴下だって、どうしようもなく愛しかった。

新しいめがねがほしい

きょう、明らかにわたしのキャパオーバーの仕事をとつぜん振られて全思考が停止した。ムリだよ〜って顔しちゃったかもしれない。「〜を〜しといてね」って当然のように言われて、え?それって社会人はみんな持ってるスキルなの?って困惑した。後々迷惑かけるのはいやだから、どうやってやればいいですか?って正直に聞いたら教えてくれたんだけれど、たぶん相手にとっては当たり前のスキルすぎてすごく大雑把な説明をされて、でも、そんなんじゃなわからないよ、って言えなかった。急ぎじゃないから時間空いたときにお願い、と言われたので、出来ないことは見ないフリをしてきょうはそそくさと帰ってきた。臭いものに蓋をする、ってこれのことか〜って頭の片隅でぼんやりおもった。

 

じぶんの感情がどういうときに動くのか、ようやくすこしわかってきたように感じる。

家から一歩外に出たときにみえる青空。駅のホームで楽しそうに笑いあうひとたち。すきなひとの笑顔。こころに残る映画をみたときに頬につたうなみだ。ママがつくったごはん。休日の昼下がりに部屋にさしこむ光。やさしい音楽。どんよりした雨の日に街中にちらばるカラフルな傘。太陽できらきらひかる指の先。ぜんぶ眩しくて、あたたかい。そういうもので、わたしの世界をいっぱいにしたいなあ。

 

これはほんとうに全然関係ない話なんだけれど、ニュースとかみない人って嫌だなあっておもった。わたしたちが呼吸してるこの世界のこと、もっともっと知りたいよってスタンスで生きてるひとと一緒にいたいね。あたりまえを押しつけられてにがい気持ちになったばかりのくせに、ニュースくらい見るのはあたりまえでしょって言ってるわたし、ずるくてずるいなあ。それで、よくわかんないのだけれど、わたしめちゃくちゃ元気になったなあ。

あーこれ、ほんとになんの話?

変わりたいとかいうの何回目?

わたしは、どんなわたしが好きだろう。昔のわたしは、たくさん映画を観て、たくさん本を読んで、いろんな感情や文化や事実に触れてそうやって感じたことを言葉にするのが好きだった。たぶんそんな自分も好きだった、とおもう。わたしはこう感じたんだけれど、あなたはどう?そうやって好きな人と他愛もないことであれやこれやと語り合う夜が好きだった。気づけば深夜になっていて、もう寝なきゃね、と言いながらそれでも愛しさとすこしの寂しさに電話を切れない夜がたまらなく大切だった。

もうハッキリと言ってしまうけれど、わたし、いまのわたしが好きじゃない。全然すきじゃない。可愛くなるために努力するのも、自分の足で立っていることも、ぜんぶ誰かのためじゃなく自分のためでありたい。わたしが笑顔でいるために努力できる自分でありたいとおもう。他人に幸せにしてもらう時代はおわったと何度も頭で理解したつもりだったけれど、いつまでもわたしは誰かにすがっている。しあわせにしてくれる人を求めて、ずっと泣き続けている。好きな人のために流す涙は決して汚いものではないけれど、悲しいは少なければ少ないほどいいとおもう。

 

生まれ変わっちゃうんだから‼️ダイエットもメイクもオシャレも全部あなたのためなんかじゃなくて、わたしが笑顔でいるためのものなんだから‼️(さいきんのわたしは突然ハロプロの歌詞みたいなマインドになるけどそれの積み重ねがじぶんを守る方法だとおもうのです)

あしたはとびきりかわいいわたし

今日のわたしは、じぶんで言うのもなんだけどめちゃくちゃかわいくない。ベッドから起き上がっていちばん近くにあった服を着た。いつもより20秒くらい短い歯磨きをして、人に不快感を与えないレベルのメイクを5分で施して、わたしを取り巻く暗くて嫌な空気から逃げ出すように駆け足で家を出た。外の光がめちゃくちゃ眩しくて、びっくりするくらい空気が冷たくて、動けなくなった。会いたいとか恋しいとか寂しいとか、わたしを苦しくさせるぜんぶの感情を振り払うように自転車のペダルを漕いだ。

 

わたしは驚くほどふつうで、わたしだけを形容するような言葉がこの世界にはないことも知っている。みんなが感じることを感じて、みんなといっしょに顔をしかめて、みんなが泣いてるときに悲しいきもちになるんだとおもう。それで、しあわせだけに置いていかれている気がする、みたいな被害妄想をみんなと同じようにして、ひとりだけ苦しくなってるつもりになるんだとおもう。あー、ダサいな。人間がもっと上手に生きられる生き物であればよかった。いろんなことを心で消化して、世界にあふれる言葉たちをわたしのものにして、誰も傷つけない文字を紡いでずっと笑っていられる世界に生きたかった。

わたしが言いたいのはそういうことじゃないんだけど、みたいな瞬間が増える。増えるたびに伝わらないもどかしさに心臓がどんどん小さくなっていくのを感じていた。どうやったら伝わるのかな、ではなくて、どうして伝わらないんだろうと苛立つしかできない小さな心臓がわたしの体の中でとくんとくんと脈を打っている。こんな意味のない文章を書き連ねるんじゃなく、はじめて買ったコンビニのおにぎりがおいしかったとか、好きな曲が増えたとか、ふわり、前を歩く人からすごくいいにおいがしたとか、そういうことにもっともっと時間を使っていたいのに。苦しいと泣くよりも、するべきことがたくさんあるのに。

わたしを肯定してくれる"何か"がまだわからない。どんな理由をつけてわたしは生きていこう、と悩んでいる。わたしには、物事を大袈裟に捉えて悲劇のヒロインぶることしか能がない。言ってしまえば無能なわたしは、きょうも東京駅の長いエスカレーターが下までわたしを運ぶ数十秒を待ちきれず、履き古したコンバースで駆け降りる。日常を繰り返すことだけが、いまのわたしにできる精一杯なのかもしれない。