美しくていい

おなじものをすてきだね、と言い合えないひとに認められたいわけじゃないってやっとわかった。わがままかもしれないけれど、わたしはいつだって、おいしい も たのしい も くるしい も共有できる人間でありたかった。これからだって、そうあるとおもう。

他人の目線はずっとこわい。じぶんの価値を決めるのは他人だとおもってずっと生きてきた。価値をうみだす力はわたし自身にしかないはずなのに、それを評価するのはわたしのなかではなぜか他人だった。でもそういうことじゃなくて、なんていうかこう、すてきだとおもえるものに近づく、みたいな その行為自体がうつくしいとされる世界であればいいのに、とも同時におもっていた。

 

わたしはとても、とてもこころの軽い人間だとおもう。だからいくらでも悲しく、苦しく、つらくなれた。いたい、と声をあげて泣くことは容易だった。おなじように、些細なことでよろこび、こころをいっぱいにさせて涙を流すこともできた。なんか、もっとじぶんのこと好きになってあげてね、っておもう。不完全なところしかないけれど、すてき に近づこうとしているわたしであれば、それはきっとどんなに歪でもうつくしいはずだとおもうのです。

みたいなマインドの、深夜1時。こういうちゃんとじぶんのこと認めてあげたいみたいなきもちをぜったいに忘れたくない。ほんとうにどうしようもない人間だけれど、すこしだけでもどうしようもなくない人間になりたいとおもって生きている いまよりすこしだけでも、他人を傷つけない人間になりたいとおもって生きている