現世では無理らしい

ふつう になりたかった。誰かを好きになって、ごはんがおいしいとか昨日見たテレビがおもしろかったとかそういうことで笑顔になれる生活。家族とすごす時間と心落ちつく時間がイコールな生活。毎日泣いたり吐いたりしない生活。好きでもない男と寝る必要も後悔の涙をストロング缶で誤魔化す必要もない生活。わたしが求めてるぜんぶは、世間では ふつう ではなくて しあわせ と呼ぶものなのかもしれない。わたしは、世の中の一握りのひとしか手に入れられることのできないものを求めて苦しいと泣きながらもがく、その他大勢のうちの一人なのかもしれない。特別なんかには一生なれないんだとおもう。

上手にできないことやわたしの頭では理解できないことが多すぎてついていけない。人を糾弾するとき、止まることなく紡がれるナイフみたいなわたしの言葉は、逆の立場になったらなんの意味も持たず、わたしは無力な置物になってしまう。じぶんが言っていることや考えていることしかわからないわたしにとって、他人のきもちを考えるという行為はあまりに難しい。できないことに理由をつけて人を傷つけてばかりいる自分も大嫌いだ。わたしが他人とするコミュニケーションは常に、対話ではなくスピーチなのかもしれない。

 

何回めかもうわからないけれど、すきなひとをすきでいるのが苦しいとまた思った。会えない夜に泣いているのはわたしだけだとおもう。会っている夜に好きだと泣く強さはわたしにはなかった。今日"は"楽しかった、みたいな、その日を生きる生活に限界を感じている。必死に掬いあげて大事に胸の奥にしまったしあわせも、次の日になれば跡形もなく消えていて、それが幻だったと気付かされる。そんなことを繰り返しているのにいまだに寂しいと涙を流すじぶんが滑稽で、なんだかもう自分自身で見ているのも苦しくなっている。たぶんだけど、たぶんではなく絶対だと気付いていながらわからないフリをしているけれど、求めている ふつう はここにはない。あしたは泣かずに一日終えられますように、と願うことなく眠れる生活はここにはないのです。

悲しい、苦しい、そうやって泣き言ばかり言っているのにも疲れちゃった。わたしはただもがいているだけで、這い上がる努力をしているのか?本当に変わりたいと思ってるのか?それとも全て諦めてしまいたいのか。