べつべつの道を歩くってこういうことか

まとも がなにかわからないくせに、ずっとまともになりたいと言っていた。

泣かない世界、声を荒げることがない世界、じぶんじゃない誰かをおもって苦しくなることがない世界。そのどれにも住んだことがなくて、まとも とか、ふつう みたいな言葉をきくたびに頭を抱えていた。

愛情と怒りは紙一重だとおもう。すきなひとの笑顔をみただけで涙が出るわたしは、愛情の沸点とおなじくらい怒りのハードルも低かった。会いたいと焦がれて息ができなくなるような世界に生きていたくないけれど、会いたいと泣くほど焦がれた人に会える喜びを感じられない世界であってほしくもない。そんな矛盾を抱えて生きていくのかもしれない。抱きしめられて眠りたい夜しかない、ってたぶんずっと昔から言っているよね。きのうした決意がきょうはなんの意味も持たないわたしはどうしようもなく人間すぎるけれど、それを言い訳にしていろんなことから逃げてきた。ひとに優しくできないこと、怒りを抑えられないこと、それらは人間らしさでもなんでもなかった。

 

「しあわせ、を形容する言葉がもっともっとたくさんあったらいいのにな」とわたしがいった。「たくさんあるよ、明日がこなければいいのになあ、だってそれのひとつでしょ?」と返ってきて、またひとつ好きが積もった。それも思い出。

わたしたちは、すごくあたたかいように見えて、実はちがっていたんだね。繋いだ手のなかには、ドロドロしたいろんなあれこれがつまっていた。触れ合った肌のぬくもりや汗で湿ったTシャツ、おふろのあとのシャンプーの香り、わたしたちの関係はそういうやさしいものばかりで出来ているわけではなかった。涙や、冷たい雨や、ひとりでこっそりと枕に沈めるため息、わたしたちを作っていたのはそういう悲しくて切なくて痛みを伴うあれこれだったのだとおもう。

ようやく解放された。されたんだよね?わたしがしてあげたのかもしれない。いっしょにいる術がわからなくなったのだから、もう一生交わることなく生きていきたい。いまはまだ、ちょっぴりすきでどうしても頭に浮かんでしまうひと。わたしの知らない場所で、しあわせになってね。