ゴールデンとは言い難いウィーク

2019年のゴールデンウィークを振り返ってみようとおもう

なぜって、暇だから

 

今年のゴールデンウィークは、唐突な病み期から始まった。社会人になってから一度も病んでいなかったし、死にたい、消えたいとおもうことも無意味に涙を流すこともなかったのに、ふとしたことがきっかけでわたしのこころは突然どん底へと落ちてしまった。朝9時の下り電車に乗って、静かに涙を流した。あぁ、わたしは一生ひとりかも、ずっとこんな適当でいまいちな人生なのかも、とおもったらすごく悲しくて、どうしようもなくやるせなくなった。きっかけは些細なことだったんだけれど、でも、他人に嫌われるのはやっぱりちょっとこわいし。

だけれど、わたしのいいところは、ともだちやすきな人に会ってる瞬間は、暗い気持ちが吹き飛ぶところだとおもうの。この突然の病み期も、そうやって回復した。ちゃんと心から笑ってるなあ、と自分を俯瞰してみている瞬間が結構すきだったりする。笑ってる瞬間に限らずとも、いまわたしイライラしてるなあとか、めちゃくちゃこの人のこと好きだなあとか、真剣に映画観てるなあとか、そうやって自分を俯瞰してうんうんって納得してること、よくあるかもしれない。

 

去年や一昨年は何をしていたんだろう、と考えたけれど、大学生は毎日が休日なのでわざわざ気合を入れてゴールデンウィークに遊ぶ必要がなかったことを思い出した。昔の写真を見返してみても、これといって特別な場所に出かけている気配はなかった。まあそれは、今年もおなじなんだけれど。

10日間あった休日のうち、半分しか(も、なのか?)家を出なかった。ともだちが少ないことを気にしたことはないけれど、何もしないことはわたしにとってはもしかしたら苦痛かもしれない。する何かは、漫画でも読書でも瞑想でも、本当になんでもよくて、それらならば何時間でもしていられるのだけど、ほんとうにすることが何もない時間というのは、わたしにとっては辛いものだなと実感した。することがないと、余計なことをしてしまう。というか、わたしは昔からほんとうにほんとうに余計なことばかりしてしまう人間なので、今回のゴールデンウィークもじぶんのそんなところに辟易した。よせばいいのに、と、何故その時は気づけないのでしょう。でもいま思ってみれば、生理だったからなのかもしれない。女とはそういうものかもしれない。

終盤で風邪を引いてしまったので、同期の集まりに行けなかったけれど、あまり後悔はない。だんだんと、人と仲良くなることに一生懸命にはなれなくなってしまっているなあ。仲良くなるならば、新しい世界を見せてくれる人、ワクワクさせてくれる人、そんな人がいいかもしれない。風邪を引いたおかげでベッドの上から動きたくなくなってしまったので、ともだちに借りた漫画を読んだり、買ったはいいもののずっと部屋の隅に積み上げられていた本にようやく手を伸ばすことができたりしたから、結果的にはありがたかったとおもう。

 

こんな感じのゴールデンウィークだった。

まだあと一日あるけれど、特別おおきな出来事が起こる気配はない。わたしの感情は日々変化していて、1分前とは考えてることが真逆、みたいなこともしばしばなのであてにはならないんだけれど、いまはおおきな変化は求めていない。太陽が出てて、空気が気持ちよくて、ベッドの上でゴロゴロし続ける生活に満足している。