カイロ(2018/10/22-27)①

f:id:turai_chan:20181218030719j:image

 この景色を見たときに、心が震えたあの感覚をもう思い出せないのが悲しい。写真を見ても、じぶんがこの場所にはいたとは思えないような、そんな切ない感覚。

 

それでは懐古。

 

・ギザのピラミッド

冒頭の写真の場所、ずーっとずっと、中学生の頃から行きたかった場所。理由なんて忘れちゃったけど。写真を見て、行きたい!と言い続けていたらいつのまにか一番行きたい場所になってた。

f:id:turai_chan:20181218031242j:image

f:id:turai_chan:20181218031428j:image

驚いたのは、街中に突然この古代の神秘、謎の物体が現れること。写真だと見渡す限り砂漠のような錯覚を起こすけど、実は反対側に目を向けてみれば埃に覆われたカイロの街がすぐそこに見渡せて、ちょっとちょっと〜!という感じだった(語彙力)。

f:id:turai_chan:20181218031650j:image

こんな風に普通に車が通っていて、これが現代なのか、と思わざるを得なかった。

 一番がっかりしたのは、ピラミッドの中。なんせ暑い、暑いって言葉じゃ足りないくらいに暑い、日本語もっと頑張ってくれ…。腰を屈めないと通れないくらい天井の低い上り坂を、観光客の汗と体臭の入り混じった匂いを感じながらひたすら登る、登る、登る、死ぬほど暑い、そしてたどり着いたのは今まで登ってきた道よりほんの少しだけ涼しい部屋と、棺?らしきもの。疲れきったわたし「マジか……!!!」

でもこれは、わたしの知識不足なんだろうな。ピラミッドが見たい、という純粋な中学生の頃の気持ちただそれだけを連れてきてしまったわたしが悪いのかもしれない。

 

散々悪口言ったけど、この旅行の一番の目的だったピラミッドは、わたしの膨れ上がった期待も遥かに超えてきて、ずっと居ていいよと言われたら何時間でもその場にとどまれるような、そんな魅力があった。お世辞にも綺麗とは言えない砂を踏みしめて、想像よりも大きなピラミッドを見上げたあの瞬間は、間違いなくわたしの人生の中の忘れられない瞬間になったと確信できる。

絶対に、また行くぞ。

 

・ハーンハリーリ

 いわゆる、ナイトマーケットです。

f:id:turai_chan:20181218033004j:image

f:id:turai_chan:20181218033132j:image

 雑多な街並みと人々の話し声、目に移る場面ひとつひとつを切り取りたいくらい楽しい場所だった。

f:id:turai_chan:20181218033327j:image

こんな風に永遠と指輪を選んでみたり。大通りを少し外れると、お店がたくさん並んだ細い路地があったり、お店の外に椅子を並べてみんながシーシャを吸ってたり。ちなみに、エジプトのシーシャはありえん体調悪くなりました。もう吸いたくない。でもこの空間にはいたい。でも気持ち悪いからホテルに戻りたい。そんな葛藤をした記憶がある。

f:id:turai_chan:20181218033844j:image

 

・ダハシュール

f:id:turai_chan:20181218034029j:image

人がいない、って、こんなにも物事を際立たせるのか、と唸った瞬間。カイロから車で1時間くらい、すこし郊外のピラミッド。これ見たときに思ったのは、本当に純粋に、すげぇ!!!ということ…。空の青とピラミッドの茶色の境い目がものすごく綺麗で、人もいなくて周りに何もなくて音もしない、こんなに孤独な空間なのに全く寂しさを感じさせない佇まいに驚嘆したなぁ。こんなすごいもん作ってくれた昔の人、マジでありがとう…。

余談。カイロからダハシュールまでuberで送ってもらい、普通ならそのドライバーに待っててもらった方が良かったみたいなんだけど、英語が通じないので諦めて帰ってもらったら、帰りのuberを呼ぶときになって、全く車がない!!という事件が発生した。結果的に待ち続けたら通ったので良かったんですが。友達はすごく焦ってたけど、わたしは目の前のピラミッドがあまりにも堂々としてるもんだから、なんだか大丈夫な気がしてあんまり焦らなかったな。

 

・メンフィス

f:id:turai_chan:20181218035508j:image

ここもよくわかんなかった。勉強不足ごめんなさい。わたし何も知らないんだな。これも世界遺産の1つなんだって。英語で書かれた案内板をうんうん、と分かった顔で読んだけど、何一つ覚えてないじゃん。そういうことが日常生活でたくさんあって、嫌になるな。わかったふりはやめたいけど、知らないことは怖い。でも知るのはとっても楽しい、とも思う。

 

楽しい思い出を写真と共に振り返ってみたりしたけど、実は2日目にお腹を下してホテルを出れない状態になったりもしていた。始まったのが夜中だったので、友達を起こしても悪いと思い部屋の外のトイレとベッドをずっと往復してた。夜勤のホテルのお兄さんに、「トイレットペーパー足りる?」という親切なのか煽りなのかよくわからない言葉をかけられても笑う気力がなかった。エジプトの下痢にはビオフェルミン正露丸も効かないらしい。蒙古タンメンでも簡単にお腹を壊せるわたしの胃、エジプトにあっさりと敗北。22年間の人生で間違いなく一番厄介な下痢だった…。ホテルの人にダイアリーアとつげて、怪しげ(失礼)な現地の薬を購入してもらった。お兄さんにこれを飲めば治る、と満面の笑みで言われたとき、疑ってごめん。一緒に行った友人2人は特にお腹を壊したりしていなかったので、やっぱりわたしの胃が免疫力低めだったのかなぁ。原因はたぶん水だと思います。スタバの氷かな。結局朝になっても治らなかったので、結構楽しみにしていた考古学博物館へは行けなかった。異国の地で一人ホテルのベッドの上、治らない腹痛、わたしは何しにここへ来たんだ、と虚しくなってみてもなかなか進まない時計の針、でも不思議なもので、なんだかんだお腹が空いてきたりして、友達が持ってきたカップうどんを図々しく頂いたりなどした。ツイッターやグーグルで、[エジプト 下痢]で何度も検索をかけてその検索結果に一喜一憂してるうちに、だんだんとお腹の調子が良くなってきて本当に安堵したのを覚えてます。この下痢のおかげでだいぶ疲弊して頬が痩せてその後の写真が盛れたので、結果的にはよかったと思う。こんな長文をかけるくらいのエピソードもできたので。結果論だけど!泣

 

と、わたしの下痢の話でだいぶ行数を稼いでしまった。

 本当に書きたいのはここから、オールドカイロ&コプト地区のことなんだけど、だいぶ長くなりそうだからとりあえず一旦終了で。。

 

 

書いてて、こんなブログに何の意味があるのか?と当初の目的を見失いかけた。じぶんの気持ちを文字に起こすのは恥ずかしいことじゃないよね。時々カッコつけたくなるのはたぶん父親の遺伝だろうな。記憶が薄れる前に記録をせねば。。